人間のお菓子を動物にあげてはいけません

先日の遠足が恙無く終わったので、三月からそれについて心を痛めていた私はようやく肩の荷が下りて抜け殻です。ふぅ。
雨が降ったら体育館でドッヂボールなんかさせなきゃならなくて、そんなことになったらきっとすぐに飽きて暴動が起きると思っていたから、何とか晴天で本当によかった。
しかし、姫さまの中には、前代未聞の「遠足に自転車で来た子」あり、「カメラ可って書いてあるからいいと思って携帯電話で写真を撮りました、という子」あり、「理由はよくわからないけど泣いている子」あり、「オウムとオウム語で会話をする子」あり、「持ってきたスナック菓子を象にあげようとしている子」あり。ああああ。どうしてそう、私の想像を超えることばかりするんだ!

まぁ、そんな大事になったり、怪我とか病気とかもなかったし、お弁当はおいしくいただけたし(海老入りだった! さすが千円もしただけのことはある)姫さまたちは飴とかチョコレートとかくれたし、レッサーパンダが気絶もののかわいらしさだったし、私もそれなりに楽しんだのですが。

あ。私、普通に歩いていたら小学校の先生(一緒にいた姫さまの旧師らしい)に中学校で新しくできたお友達と思われたらしい。あんまりです。高校生に間違われるのは話のねたになるが、中学生に間違われたら自分の10年分くらいの人生ってなんだったの? な気分になる。本物の中学生は私が正直に何の偽りもなく自分の年齢を述べても誰も信じてくれません。まあ確かに、きりがいいからごまかしているような感じにならなくもないが。
私と一緒に中学に通っていた友人なんかもうすぐお母さんになるって言うのにさ。その友人のほうが私よりもっと中学生めいているのにさ。たぶん。きっと。おそらく。私たちはもう、四捨五入したら30の歳です。

泣かないで欲しい

人前で泣くものか、というか、叱られて泣いたりしたら「泣くな!」ともっと(五倍くらいの勢いで)叱られて育った私にとっては、姫様たちが泣く理由がわからなくて困惑する日々です。
いや、別に泣くのは悪いことじゃないと思うのですがね。
ああああ、別に私が泣かせたわけじゃないですよ。本当です。本当です。信じてください。

それはともかく、私の教えてるお嬢さん(中学三年生)が短歌ですごいことになりました。コンクールで最優秀賞をもらい、その短歌が歌碑になって町の公園に飾られることになったのだそうです。すごいー。コンクール自体は小さなものですが、最優秀賞は最優秀賞だし。短歌自体はなんというか、「中学生じゃなきゃ許されないかわいらしさ」。聞きたい人にはそっと教えて差し上げましょう。授業中に「これは実体験に基づいて作ったの?」と尋ねたら「ううん、お風呂の中で作ったの」とのこと。ちなみに詠者は清楚可憐、その上聡明なな美少女ですよ。ふふふふふ。

中学生とは当初予想していたよりも、楽しく遊ぶことができて今のところ良い感じです。あさっては動物園に行くんだ。
高校生のお嬢さんたちは、すぐに私をおだてて答えを只で教えてもらおうとするのが難ですが、みんなよい人たちで助かります。後は私がまじめにお勉強をして、嘘を教えないように努めるばかりです。あ、後は姫様を泣かさないことだな。うん。

 形

中学三年生一つ目の教材が菊池寛の『形』です。
槍中村と呼ばれる槍の名手中村新兵衛は、猩々緋の羽織と唐冠纓金の兜の武者姿で「戦場の華」と賞される勇将でした。そんな中村新兵衛のもとを元服したての若い侍が訪れます。「明日はわれらの初陣じゃほどに、なんぞ華々しい手柄をしてみたい」と言って。彼は新兵衛の羽織と兜、つまり『形』を借りて戦場に臨みます。若侍は『形』の力もあってか合戦で手柄を立てます。が、『形』を手軽に貸してしまった新兵衛は平素の何倍も苦戦した挙句、脾腹を貫かれて死んでしまいました、というお話。

もちろん原典があって、その江戸の儒学者湯浅常山の『常山紀談』には「敵を殺すの多を以て勝つに非ず。威を輝かして気を奪い、勢を乱すの理を悟るべし」と書かれているのだとか。まぁ、それはそうですね。
で、こんな皮肉っぽいお話を教えるにあたって、「中身も中身だが、形も大事だ」(と、菊池寛は言ったらしい。あんまりだ)ということを考えているのですが、これ、結構難しいよ。姫さまたちの中には初読の時点で「先入観の恐ろしさ」だとか「中村新兵衛は死ぬまで『形』の力に気がつかなかったのか?」とかいう読み取るべきことはもう読み取ってしまっている子もいるだから。中には「なぜ、菊池寛はこんな突き放したような書き方で中村新兵衛を殺したのか?」というようなことを書いている子もいた。さあ、どう答えたものかね。
もちろん「何が言いたいのかさっぱりわかりませんでした」な子もいるから、最低限の解説はしなきゃならないだろうけど、初読でかなりのレベルまで読めてる子に内容の確認ばかりの授業じゃつまらないだろうし。

中学一年生の『杜子春』の読書感想文に「自分の力で稼いだお金によってでないと人間は幸せになれなのだ」ということを書いている子がいて、これはすごいと思ったのだけど、こういう子の才能をどうやったら潰さずに居られるのか、早くも前途多難な感じ。ほら、国語ってともすれば「みんな同じ事を考えましょう」になりがちじゃないですか。人と同じ事を考える力はもちろん必要ですが(そうじゃないと他人の気持ちのわからない人間になってしまいそうだから)人と違うことを考え付く力もとても大事だと思うし、深読みして考えた結果を全否定してしまうようなことは絶対言いたくないなぁと思うし。


というわけで、一言授業で喋るたびに罪悪感でへなへなになっている私に誰か愛の手を。

ただいま!

行ってきましたよ、中学一年生のお供で自然教室。
・・・・・・。疲れました。本当に、芯からとてもとても。

予定外にものすごい苦痛を伴う催しが。私「体力に自信? 無いほうに自信があります」と堂々と答えたのに。自然教室のお兄さんから山道を自力で(しかも地図なし)進むよう指示されて獣道のような山奥に踏み込んだものの、案の定道に迷って遭難寸前に。
生徒が道に迷うならまだ許されるでしょうが、教員が遭難して捜索隊を出されたりしたら10年は笑いものにされてしまう、と思って必死で道なき道を通って帰ってきました。泥まみれで。ほら、前日が大雨だったし。
で、よろよろしながら(普通の山からあんな格好で出てきたら犯罪に巻き込まれたと思われる)施設に戻り、お兄さんに事の次第を話したら「よくそんな所を通ろうと思いましたね。前代未聞ですよ」とあきれられました。あはは。あはは。あはは。

覚悟を決めていたカヌーはあまりの寒さに教員は乗らなくてもよいとお達しが出たのでここぞとばかりに磯遊び組みに。貝掘りをしている方々にくっついてマテガイがにょきにょき顔を出すのを見ていました。しかし寒かった。雨でもないのにレインコートを着てしまった。

中学一年生は本当に小さく、びっくりするようなことがわからなかったり、意味のわからないことで泣いたりしていました。めそめそしている子に声を掛けたら別の子が「○○ちゃんに話しかけたのに無視されたって泣いてるんです」と返事が。あー。無理をして苦手なものを食べて具合が悪くなったり、初めての生理を迎えて「どうやってお風呂に入ったらいいんですか?」と聞いてきたり。かわいいといえばかわいいのですが、それがひっきりなしに何人も何人も来るとぐったりなります。みつあみが上手にできなくて変なあたまで起きて来ている子もいたし。「できなかったらしてあげるからあとでおいでー」とか言って優しい振りをしてみたりしました。


いやー。でも疲れちゃったね。
でも、結構お姫様たちのお名前とお顔が一致するようになったのでよかったと思います。
みんな、私のことを労わったりねぎらったりしてください。

自転車操業なのは誰のせい?

気がついたら明日から授業。どうしよう。何の予習もしてないよ。
中学のオリエンテーションもあるし。自然教室のオリエンテーションもあるし。高校生の漢文もあるし。はー。どうしよどうしよ。どうしよどうしよ。
明後日からは門司行きだしさ。準備する暇もないしさ。

日記かいてる場合じゃないときに限って日記書きたくなるのはなぜでしょうね?
修士論文かいてるときにも毎日欠かさず日記書いてたしね。


・・・・・・。ろくでもない。ほんとうに。

閣下に会った。

 
ここ一年ご近所暮らしをいていた閣下が、ご近所を離れ遠い遠いお湯の国に行ってしまうそうです。でも互いに結構用事もあるし、別にいいかと思って送別の宴も何も予定になかったのですが、帰りにお買い物をしていたらお店でばったり。
一緒にご飯を食べました。閣下は高校時代あんなに試験嫌いだったのに、明日も試験だそうです。

私は試験の○つけ×つけ△つけです。

激務ということ。

私の今までの認識は甘かった。

激務というのは職場の端から端までを十分間に三往復、全力疾走で走ることだったのですね。こののろまで機敏さとか瞬発力とかそういう類の言葉からとても遠いところにいる私をも走らせるのが激務であります。

最近「愚痴ばっかり言ってると畜生道に落ちる」と知ったのであまり言わないようにする。