魔羅節。

岩井志麻子の短編集で、新潮文庫から出ています。
収録作品は「乞食柱」「魔羅節」「きちがい日和」「おめこ電球」「金玉娘」「支那艶情」「淫売監獄」「片輪車」の八編。


彼女のデビュー作『ぼっけえ、きょうてえ』が本屋に出回った時、あのカバー絵のあまりの不気味綺麗さに恋をして、赤貧の身にも関わらず買ってしまいました。そして100回くらいは読んで(私は数年に一度電撃的に激しく本と恋に落ちるのです。そういう本は100回も200回も読み直すのです)殆ど丸暗記してしまった、というよくわからない思い出があるのでした。今でもまぁまぁ、憶えていますから。お望みとあれば寝物語にでも(笑)

で、彼女の作品は大雑把に言えば現代篇と岡山篇に分けられると思うのですが、私は岡山篇のあの恐ろしさが大好きなのでした。『魔羅節』も岡山篇。私の好みは「乞食柱」と「おめこ電球」です。


「寝た間が極楽」。この言葉をわしに教えてくれたんは、どこの誰じゃったろう。
 人は寝とる間だけ、哀しいことや苦しいことから逃れられるという意味じゃ。それはれっきとした仏教の諺で、広めたんは偉い坊さんかも知れん。しゃあけど、この言葉を実際に唱えたんは、そりゃわしらのような貧乏人じゃろ。
 ただし、わしは寝た間も地獄なんじゃがな。          



というような。この「地獄の餓鬼すら羨ましかった。あれらは、死体や糞は口に出来るんじゃけ」と言うほどの幼少期を過ごした男が、貧民窟のような女郎屋の安女郎(けれど彼には「泥の中に咲く蓮の花」に見える)に語る昔語りの話です。・・・・・・。途中までは。

岩井志麻子のお話って、どんな人が読んでるんだろ。男の人にしてみれば、ある意味内田春菊のお話を読むのより苦痛じゃないかと思うのですが。「時代が違うから」と物語として読める分、楽なのかな。岩井志麻子を読んで、『脳病院へまゐります』とかを読んでも「ふーん」と言う感じですよ。こう、怖さと言うか、痛さが全然違うと言うか、五感に訴えるか否かと言う点で勝負にならないというか。