メンズ・バレンタインデー。

という日なのだそうです。今日は。何でも「男性から女性に下着を贈って愛を告白する日。または(バレンタインデーから半年経って)別れを切り出す日」なのだとか。1993年に制定されたそうですが、はじめて知りました。だって、贈り物が「下着」って、そんなもん定着する訳無いじゃないですか。昼の二時頃おうちでラジオを聞いていたらそう言っていたので間違いありません。紹介していたラジオの人も苦笑していました。だって、ねぇ。まだ恋愛関係で無い人から下着を貰っても恐ろしいばかりです。「下着貰って愛の告白」も嫌だけど、「下着と共に別れの切り出し」はもっと嫌だな。とても、とても。
古来、男の人は女と別れたいと思ったときには櫛を贈ったようですよ。伊勢の斎宮の下向の際、帝がその髪に黄楊の小櫛を挿し「京の方へ赴き給ふな」(「こちらへは帰ってくるな」)と言う(斎宮は一代に一人が原則なので彼女が都に戻ってくる=天皇の御世代わりを指すから)儀式があったそうですが、それと先に書いた俗習と何か関係があるのかな。ご存知の方は教えてください。そして男性諸兄、好きな女性、或いは、別れる予定のない女性にはくれぐれもついうっかりと櫛を贈ったりなどなさいませぬよう。


この日記を読んでくださっている方々から「更紗未々さんのお母さんは愉快ですね」と言われました。ありがたいことです。母は愉快で多少変わったところもありますが、娘の私は至って普通で何の変哲もない人間です。
うちの親族には母なんて目じゃない相当の変人が居ます。鹿児島県のとてもよく温泉の出る町に住んでいる私の父方の祖母です。祖母(千代子さん〈仮名〉)はもう81歳なのですが、驚くばかりの元気さ(どこもちっとも悪くないので何年も病院にも行っていない)で親戚中で「あのおばあさんはあと20年くらい軽く生きると思う」と言われています。
千代子さんは23歳の私が見ても「もうちょっと場の空気を読まなくて大丈夫なのだろうか」と思う程思慮の足りない発言をするので、同行する人は胃痛を発したり頭痛でくらくらしたりします。祖父が生前「お前を連れて歩くとはらはらする」とよく言っていましたが、大変身にしみるお言葉です。
発言だけでなく行動もはらはらもので、20年程前両親に連れられて遊びに来た私を「地元のお祭りに連れて行ってあげる」と連れ出し、お祭りの会場でお友達とのおしゃべりに夢中になった挙句、私をそこに忘れて帰って来たことや、四年程前祖父が病気で入院している時「お見舞いのお花を飾ろうと思って」がたがたするパイプ椅子に乗ってひっくり返り、頭蓋骨を骨折した(しかし驚異的な速さで快復した)ことなど、枚挙に暇がありません。
祖父亡き今、千代子さんの言動を窘められる人が誰も居なくなった為、彼女は好き勝手自由気侭な日々を送っています。「石原慎太郎、格好良い」と言って彼がたまたま講演に来るという話を聞きつけて見学に行ったり(その後「石原慎太郎に触れた」と喜びの報告をしてくれた)、近所の寡婦仲間と苺狩りに行ったり、旦那さんを亡くした方のところへお見舞いに行って「これからは一緒に遊びましょうね」と寡婦連盟に勧誘したり、なかなかにパワフルな日々を送っています。
こんなに元気なのにたまに押し売りの人が訪ねて来たりすると「主人に聞かないとわかりません」と、しおらしく、けれど堂々と祖父の写真の掛かった仏壇の前で言い放って、押し売りの方々を「あのおばあさんはおじいさんに死なれて悲しみのあまり頭がおかしくなったんじゃなかろうか」と困惑させています。

こんな親族に囲まれながらも真っ当にすくすくと成長した私を見れば、子供の教育と環境、とか子供の才能と遺伝等というものは全くあてにならないものだと痛感して戴ける筈です。うちの弟に至っては、「バカボンのパパってバカボンが生まれる前は何て名前だったのかなぁ。もしかして『バカボン』って名前は世襲制なのかなぁ」と発言した姉を「そういうことは余所で言わない方がいいと思うよ」と即座に窘める良識を持ち合わせています。親や親族が多少変でも子供が真っ当に育つことはあるのです!


ところで、ぽん・de・pandamarch先輩から「究極至高の口説き文句」に対するコメントのつけ方について指令が下りました。13日のコメント欄を参照してください。私は転載とか、トラックバックとか全然意味さえわかっていない人間なので、絶対に頼りにしないように。