さんすう、すいすい。その②。

今日は辛く悲しい労働の一日(あまり働いてないけど)でした。
小学二年生のお子様達と「掛け算九九」に取り組んで参りました。

あきらくんの はんでは ひとりに 5まいずつ おりがみを くばることに なりました。はんには 6人います。おりがみは なんまい いりますか?

おさらに りんごが 4つずつ のっています。おさらが 6まいあるとき りんごは ぜんぶで いくつあるでしょう?

たこには 足が 8本あります。たこが 6ひき いるとき 足は ぜんぶで 何本あるでしょう?

このような問題でした。必死で林檎や蛸の絵を書きました。私が頑張って書いた蛸の絵を見て子供達が「火星人だ!!」と言いました。とても悲しい思いをしました。「たこには目がないといけないんだよー」と彼等は言っていましたが、君たちは蛸の目玉などという気色の悪そうなものをきちんと見たことがあるのか? あと省略して林檎をただの丸で描こうとしたら激しく糾弾されました。ケーキの絵を書いたら「苺がのってない」「苺よりもメロンがのっている方が嬉しい」「苺は赤ペンで描くべきだ」「チョコレートケーキの方が好きだ」とお菓子談義ばかりして誰も「掛け算とは何か」について関心を払ってくれなかったので涙が出そうでした。
あ、今思い出したけど、試験監督先(小学四年生。二年生よりは大部人間らしい)で貸した消しゴムを返してもらってない。しまった。また巻き上げられてしまう。このあいだは小学六年生の子供に赤ペンを破壊されたし。あー。悔しい。小学六年生って、半分くらいの生徒が私よりも背が高いのですよ。男子生徒は私が届かないのを面白がって高いところに黒板消しを隠したり、筆記用具をくすねたりします。「困るじゃないですか。返してください」と言うと哀れに思った女子生徒が「はい」と言って取ってくれます。
六年生でこれだから中学二年生なんかもっと酷くて「うるさい!」と叱ると「先生ちっちゃいねー」と頭を撫でようとする子供もいてやりきれない悲しみを味わう羽目になります。私の授業が比較的まともに遂行しているときは「先生が可哀想だから少しは黙っていてあげよう」と彼等が殊勝な気分になっているときで、私の指導の成果でないことは明白です。「国語の時間にテキスト出してたの、久し振りだよー」とか言われます。それは威張ることじゃないぞ。まったく、まったく。「君たちは学校でもこんなにうるさいんですか?」と聞いたら「学校ではもっとうるさいよー」と元気よく答えてくれました。中学校の先生も大変だ。しみじみ。


さて。早速、じぃじさまより杜塚くんの「頬を、触っても良い?」についてコメントが寄せられました。「頬」じゃなく「手」か。「頬」って発音し難いですよね? 「もう一度言ってくれませんか?」と言われたらきついなぁ。しかし、気持ちはわからないじゃないが(頬って、こう、自信を持って触らせられない時が結構あるもんね。がさがさになったりし易いし)「手」だと「誘う」感じが薄れるかなー、と思うのです。手相見て「ふーん」と言われてお終い、な感じがしないでもないし。本当は、好きでもない相手にだったら手だって触られたくない、と思うところですが。手を触るのも断わるなんて、悪いなぁ、と思ってしまいそうだし。そういや大昔、東京の閣下は同じ方法で女の子に口説かれていたとかいないとか。凄いなぁ、閣下。
じぃじさまは御大の「地獄を覗いてみないか?」についてはどう思われますの? 状況設定が無かったのですが私としてはこれ、屋台のラーメン屋で、というのでしたら結構美味しいような気がします。ただ、凄く人を選ぶと言うか、「健康で健全で至極真っ当」な感じのする人に言われても「急にどうしたんだろう」と思う程度で終わってしまいそうな気がする。微妙に擦れた人か、何だか具合の悪そうな人(京極堂のような)か、そんな感じだと似合うんじゃないかと。

ところで夏も終わりに差し掛かった今、唐突にカルピスさんと恋に落ちてしまいました。彼はもう賞味期限切れ寸前。濃縮還元だからいちいち手間が掛かるところがいとおしさをそそります。果敢無い恋になりそうですが彼の命が尽きるまで、添い遂げようと思います。あ、でも我が家にはまだ壜入りのカルピスが二本とフルーツカルピスまで残ってるのでした。どうしよう。小さい頃、甘い甘いカルピスの原液を舐めてみたくて仕方が無かったことを思い出します。今はもう思わないけど。