お母さんは人間の時には・・・・・・。

実際にはどの程度交通ルールを遵守しているか、という話題が夕食時に出たのです。車、自転車、と続き、当然次は歩行者の立場の時、となるはずだったのです。「お母さんは人間の時にはねぇ、駅前の横断歩道なんか時々信号無視して渡ってるよ」・・・・・・。お母さん、あなたは人間じゃない時があるのですか?
うちの家族は20年間まったく形態が変わっていない(両親が健在で私も弟も自宅から大学に通っている)のですが、時に「この家庭は小学生の居る家庭か?」と思うことがあります。母は退屈すると私や弟に「何か芸を見せなさい」と言います。弟(20歳)は「見て見て。岩清水くん(NHKアニメ『おじゃる丸』のかずまくんのクラスメイト)」と前髪を岩清水くん仕立てにして披露したりします。

ガルシアの首さん(http://d.hatena.ne.jp/headofgarcia/20040907)にものの書き方を叱られてしまったので反省です。私はあれです。元々あまり、「男子高校生の性の煩悶」みたいなことに関心が無いんです。というか、むしろそれから一生懸命逃げ回っているんです。そういう煩悶を卒業した人か、あってもそれを相手に感じさせない人にじゃないと、うまく自分の言いたいことも言えないの。女子高校生の性の煩悶の方がずっと、なんていうかあらゆる意味で醜いと思うので、そうだった頃に引き戻すような言動が恐いのです。男子高校生の煩悶は、時間が経ってしまえば言葉にしても大丈夫なおおらかさが何処かにあると思うけど、女子高校生(中学生も、小学生もそうだ)の場合はそれを正直に語ることは一生出来ないんじゃないかと思う。周りの女友達がみんな「あの人はどうだった」「この人はこんなことをした」という比較対象を幾つか持って集まる、という楽しい機会でもない限り、言葉に出来ないし、その場合でも処女の頃の性の煩悶については誰も何も言わないし言えないんじゃないかと。そんなわけで、私が「童貞お断り」的な文章を書くことがあるのは一重に「それに触れるのが恐い」からだ、ということです。恐いので触れられないように予防線を張っているの。多分。そういう訳なのでガルシアの首さん。世の中には馬鹿な人間も居るものだと思って許してください。


「究極・至高の口説き文句」に漸く杜塚くんより作品が出品されました。口説き文句はまずは頭を、じわじわと体を喜ばせるものであって欲しいと思います。他の作品を見ないと、審査は公平に行われなければなりませんから。でもこの言葉は頭にも体にも効きそうな気はします。(あまり体に効き過ぎるのは良くない、という意見も多そうなので断言しかねますが)
あ、御大の(これは参加作品と看倣すべきなのでしょうか?)「地獄を覗いてみないか?」というのは似合う人に言われたら前後の見境も無く「あなたも覗くと言うなら」と言ってしまいそうな台詞です。
私は実は、狂い猫さまの演劇には「究極・至高の口説き文句」がちりばめられているんじゃないかと思うのです。杜塚くんの「頬を、触っても良い?」は『ロマンス』の「触れていいですか?」と近いし御大のそれは『グラン・ギニョール』の「ゴトーと一緒に地獄へでも行くか?」「ゴトーが行くと言うなら行くわ」と近い。これは素敵な口説き方を学びたければ底辺から狂い猫の世界を学べ! ということ?