重陽の宴。

重陽節句で御座います。菊酒を呑むと寿命が延びるという中国の言い伝えに倣い、古来、紫宸殿において侍臣に菊酒を給い、文人を召して詩を作らせました。
また、長寿を願って菊花に綿を被せ九日の早朝朝露に湿った綿で肌を撫で、老いを捨てるという習慣もありました。さあ、若さ瑞々しさを保ちたい皆さま、何でも良いから事寄せて飲酒に耽りたい皆さま、宴の支度は整いましたか?

昨日の「光源氏口説き方」が意外にも好評だったので調子にのって古代の習わしを紹介してみました。でも、九月九日と言えどもも旧暦での話ですから、今日おこなって良いものやら疑問は残りますね。

「究極至高の口説き文句対決」(id:pandamarch 参照)への参加が待たれるところです。審査員陣は逸る期待に情熱の遣り場を失いそうなほど熟していますよ。仕方が無いから今日も「口説きの場面」を考察してみようと思います。今日は「女が男を口説く」場面を考えてみようと思います。えーと。何かあったかなぁ。・・・・・・。つらつら考えてぱっと思いついたのが昨年度の邦画の映画賞をたくさん取った『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉 文春文庫 第119回直木賞受賞作)のアヤちゃんです。(急に現代、それもつい最近になったな)「口説く」というより「誘う」ですが。コメントをくださった「太郎さま」も仰ってました。「女が男を誘うときは言葉じゃなく接触だ」と。
職も人間関係も他人からの信用も失って尼崎に流れ着き、そこで黙々と臓物の串刺しを作る男(生島)と、迦陵頻伽の刺青を背負った彫り物師の情婦(アヤ)とのお話。このお話だけは死ぬまでに一度読んでおいたほうが良いと思う、私の推薦図書です。で、そのアヤちゃんが生島さんに「抱いてくれ」と迫る場面です。

 その夜、駅で買うて来た新聞を畳の上に広げて読んでいると、後ろで静かに戸の開く気配がした。振り返ると、アヤちゃんがすでに戸の内側に立っていて、後ろ手に戸を閉めた。が、そうして締められた戸はれいによって止め金が外れた。アヤちゃんは止め金を見て、また閉めようとした。併しそれが馬鹿になっているのを知ると、私を見て、上がって来た。アヤちゃんの目は私を一直線に見ていた。その時になってはじめて私はただならぬものを感じ、あッ、と息を呑みそうになった。素足の女が、立ったまま無言で私を見ていた。私も畳の上に立膝をしたまま、横ざまに女を見ているものの、身動きが出来なかった。不意に、アヤちゃんは白いワンピースの裾へ両手を入れた。衣が流れるようにたくし上げられ、腰のあたりから、一気にパンティを下へずり下した。そのまま私を見た。パンティは脛に掛かっていた。右足を上げて抜き、続いて同じように左足を抜くと、その白い下穿きを右の手指につまんで、突き出し、私を見た。それを私の前の新聞紙の上に投げた。

これは凄いです。この場面でアヤちゃんが喋るのはブラジャー一つで生島さんに近付いて言う「起って。」と、そのブラジャーを「外して。」という二つだけ。物凄く格好よく痛々しく「どないなと、なるようになったらええが」と思い切るくらい切実です。でも普通の女性は「こんなの真似出来ない」と思う筈。アヤちゃんは「男の腐れ金玉が勝手に歌歌い出すほどの器量好し」と評される「見るのが恐いような美人」です。「自分が誘って断わる男が居る筈ない」という前提があって、その上、「(彫眉さんにはばれたらばれたでいい)生島さんとしたい」というのが無ければこういうことは絶対出来ないな。・・・・・・。うーん。超絶な美人にしか出来ない誘い方をみても一般人には参考にならないぞ。というか、「女はアヤちゃんほどの美人じゃなきゃ自分から誘ったりするものじゃない」ということ? しかし、同じことを男の人がやったらどんなに期が熟していたとしても犯罪めいた感じになりますよね。男と女ってそんなに違うのかな。難しいなぁ。あ、生島さんはこのときの性交を「一気に連続五回、射精した。はじめの三回は物に狂うたような抜かずの三連発だった。あとの二回はアヤちゃんの口にふくんでもらって射精した」と後述しているのですが、男の人ってそんなに出来るもんなんですか? 聞いたって誰も本当のことは教えてくれないかもしれないけど、謎だ。(最早「口説き」とは何の関係もない)


ところで重陽といえば『雨月物語』の「菊花の契」が想起されますが、これを衆道の話と読むのは尤もだと思います。男女の仲では「男と女は違うから」という言い訳が出来ますが(相手を宥めるにも自分を慰めるにも)同性の恋の場合はこれが効きませんからね。死ななきゃ誠実の証明が出来ない、と思い詰めても仕方がないと思うの。元々、刺青とか指切りとか、遊女屋での恋に誠実さを持たせるための儀式だった訳で、その果てに心中があったと言われるじゃないですか。「死ねば誠実」と言って貰えるなら幾らでも死にますがね、と思わないでもない。そういえば中学生の頃「25歳までに太宰治のような人と心中する」のが夢だったことを思い出しました。どんな中学生だ、と思い出すだに恥ずかしい。いや、塾の授業で『走れメロス』をしたものだから唐突に思い出してしまったのでした。あー。