小説という語り(岡真理)
デッサンという旅(港千尋)
心身論と唯脳論(養老孟司)
「自己疎外」再考(岩井克人)
監視されていると思い込ませる権力(佐伯啓思)
〈いま〉と〈いま〉とのあいだ(中島義道)
無理だ。そして小説編には『それから』が。何でまたそんな微妙な〈授業でやりにくいであろう〉テキストが。
古文の教科書だって変なんだ。何でよりによって「光源氏と藤壺の密通」だの「葵上出産」だの、あまりくだくだしく説明できないようなとこばっかり題材にするんだ。
当たり障りのない、沈倫の場面とか、光源氏が呆けて色欲の枯れた後とか、そういうところにしてくれればいくらでも喋れるのにさ。