気分はお昼のドラマ。

今まで一ヶ月もかかってのろのろ読んできた『源氏物語』若紫巻(藤壺光源氏の密会場面)が今日ようやく終わったのです。
「この後藤壺は、自分が妊娠していることに気がつくの。でも、光源氏の子供だなんて口が裂けても言えないから、桐壺帝の子供として育てるのね」
と教えたら、お嬢さん方が俄然元気に。

「えー。ここそんなきわどい場面だったんだ」
「そっか、『あやにくなる短夜』って書いてあるもんね、夜に会うんだもんね」
光源氏って見境ないねー」
「こんな見てきたように書いてあったら作り話と思えないよね」

などとお嬢さん方。
……やはり、「命婦の君ぞ御直衣などはかき集めて持て来る」の箇所で「何で直衣を持ってくるんですか?」と聞かれて「それは脱いでいたからよね、光源氏が」と教えたせいでしょうか。


そのテンションのまま葵巻(葵上出産に際し六条御息所の生霊が取り付く場面)へ。
死にそうな葵上に光源氏が「あなたとは死に別れてもきっと会えますよ」と慰めを言う場面でなぜこのような発想になるのか解説。

古代、女の人は死んであの世に行くとき初開の男に背負われて三途の川を渡る、と考えられていたのだそうです。葵上は処女で光源氏と結婚したから、これは「あなたとは三途の川の川岸でまた会えますよ」ってこと。だからたとえば藤壷とは死んだとしても決して会えないのね。

という説明をしたら「光源氏って、何回三途の川を女を背負って渡らなきゃならないんだろうね」お嬢さんががしみじみと仰いました。


……。悪い男にはなるべく引っかからないようにね、と言いたくなりました。